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Statement

原発事故後、歪められた自然と人間の関係

 2011年3月に起きた国内最悪の原発事故により、高濃度の放射性物質が大気中に放出されフォールアウトした。その結果、福島県東部を中心とした広範囲の環境へ多大な影響を及ぼした。国は、大地に降り注いだ放射性物質の線量分布をもとに、避難区域とそうでない区域に区分けし、便宜上の境界線を設け人間の営為を管理することとした。その結果、避難区域に指定された地域に暮らしていた人々は強制的に退去を余儀なくさせられた。

 かくして、避難区域には自然の営みだけが残された。

 人間の生活が途絶えた区域の自然は、人間社会による圧力から解き放たれた。回復力が高い日本の自然は、放射線による生態的影響をも凌駕する勢いで繁栄することとなった。

 水を引かれなくなった田は急速に乾燥し、セイタカアワダチソウ、ススキ野へと変遷した。そしていつの間にか芽吹いたヤナギが、今では5mを超える樹高にまで成長し大群落を形成している。

 放置された根菜や果樹は野生鳥獣の格好の食物となり、荒廃した家屋敷や田畑はねぐらや繁殖適地となって野生動物の増殖を引き起こした。

 増え過ぎた野生動物による横暴は、避難区域と隣合わせで営農している人々の生活を脅威にさらしているばかりでなく、この春多くの区域の避難指示が解除され、ようやく我が家に帰ることが出来ると心待ちにしていた住民たちの、切なる希望をも水泡に帰すほどの重い足かせともなっている。

 つまり、人間の社会的活動は線引きにより制御できたが、自然の営みはコントロールできるはずもなく、自然は人間が設定した境界など気にも留めず、やすやすと突破したということだろう。

そうして、この地の自然は、もはや人間の小手先だけの対応ではとても手に負えないほどの強大な力を持つに至っている。かつて、人間の営為とともにあった自然は、原発事故を契機に人間との関係性が瓦解し、歪んだ姿形となって立ち現れているのである。

 福島第一原発事故直後、放射性物質で汚染された地に入り、その地に生きる動植物の姿を記録してきた。記録していく中で、かつてこの地で生活していた人々と出会い、彼らの、生まれ育った地の記憶を断ち切れずに苦悩する思いを知った。

 自然の中で営む人々がいた。当時、自然と人々のコミュニティとが絶妙な均衡を保っていた暮らしがここには確かにあったのだ。

 放射線の生態系に及ぼす影響は、我々の子孫の代にも繋がっていく問題である。その記録もさることながら、自然と人間の関係性が崩壊してからの、自然と人間との関わり合いの行く末を記録していくことも、自然の姿を撮影し記録してきた者としての責務だろう。

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